歴史
インドのヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀ることを、最澄が比叡山で始めたことで、徐々に民間に広まったといいます。
これが民間において日本の土着信仰の神である恵比寿とセットで信仰されるようになった歴史的な経緯はよくわかっていません。
平安時代以降、京都の鞍馬の毘沙門信仰からはじまった毘沙門天を恵比寿・大黒に加え、三神として信仰されることが起こりました(初期の恵比寿は毘沙門天を本地とすると考えられていました)。この三神セットのパターンはかなり後まで一般的でありましたが、平安末期~鎌倉初期の頃、近江の竹生島の弁天信仰が盛んになると毘沙門天ではなく「恵比寿・大黒・弁才天」とするケースも増えていったようです。
室町時代、仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人なども中国から入ってきてそれぞれに知られるようになり、それらをまとめて七柱の神仏のセットができ、室町時代末頃、近畿地方から始まったとされています。
この頃は銀閣寺に代表される東山文化の時代。中国の文化に影響され、大陸的な水墨画が多く描かれていました。もてはやされた画題は『竹林七賢図』(竹林の七賢人)。この絵に見立てて、人々は別々に信仰されていた7つの福の神を集め、七福神としました。ただし、当初は必ずしもメンバーが一定していなかったようです。